「人生をゲームのように」の解釈6段階

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最近は人生の職業的な側面におけるゲーム性について考える機会が度々ある。

それに伴って、皆さんも子供のころから聞いてきたであろう格言「人生をゲームのように」という言葉について解釈のレベルがあるな~と感じたので、メモ代わりに簡単な解説を添えてブログとして残しておく。

Lv.1 「人生はゲームのように楽しむべきだ」

最初に上記の言葉を聞いたとき(たしか小学校4年生くらい)の自分の解釈はこれである。当時の自分にとっては、ゲームは純粋に楽しいものであり、没頭する対象であった。そのため、勉強やスポーツにおいても楽しんで没頭することこそが成功の秘訣だと思っていた。

つまりは「好きこそものの上手なれ」と同義であるという解釈。

正直このフェーズが最も単純だが、あらゆる物事に対して没頭することができるなら Lv.1 にして最強の解釈だと今でも思っている。

しかしながら、実際の人生は楽しい要素だけではなく、外的・内的要因によって苦痛や飽きなどの負の要素を相当量含んでいる。(それが人生における渋みや味わい深さ、奥ゆかしさを形成しており排除すべきではないと考える。)

Lv.2 「人生はゲームの主人公のように目的を持つべきだ」

高校生の進路に悩んでいた時代には、目的を持つという解釈が最もフィットした。進路というのは目的から逆算されるべきものであり、そこに向かって試行錯誤を繰り返して進んでいくことに人生の意味があると考えていた。

これはある意味では正しい解釈のように感じるが、いま思えば若者故に思考のスコープが狭く、将来の社会の変化や、それに伴う自分自身の価値観の変容を考慮していない。

目的が動く場合は、逆算することの効率性は損なわれる。

Lv.3 「人生は自分をゲームの主人公のようにレベル上げするべきだ」

Lv.2 のアンチテーゼとなるのがこの解釈で、あくまで現時点の自分自身に視点を置いて、明日が今日よりも強くなっていればいいという解釈である。

これは大学時の解釈であって、余りある時間を使って世の中を見渡して、自分がどんなスキルツリーを伸ばしていけばいいのかと思案した期間でもある。

世の中(動く標的)に対して、自分をフィットさせ続けるというアプローチであり。正直これは変化の速い時代においては通用すると今でも思っている。

Lv.4 「人生はゲームのように仲間との協力が重要だ」

大学生までは自分の力で何とか問題を解決できた。(そもそも個人で扱えない規模の課題を与えられる機会が少ない)

一方で社会人になると、個人で何かをすることは極めて少なく、ほぼ必ず他者と関係性を持ちながら物事が進んでいく。そのため、他者の視点や組織の中での自分の振る舞いという視点を得る。

「何でもできる人」「尖った才能を持った人」「クセのある人」「プライドの高い人」など、それこそ十人十色と言える膨大なパターンの組み合わせ問題の中で、さらに各々が内部状態を変化させながら進行していく複雑系が形成されており、「仲間との協力」という陳腐な言い回しでは表現できないほどのゲーム性を帯びているという解釈である。

上手くやれば梃子のように働き、下手をすればラットレースのように徒労に終わる。そのため、上手くやれる経営者やマネージャには資金が集まったり、高い報酬が支払われる。

※1: 野球というチームスポーツに10年ほど打ち込んでいたが、このような解釈が生まれたことは無く、ゲームの勝敗にチームメンバーの活躍が必要であることは認識しつつも、極論個人技の集合体ととらえていた。サッカーやバスケをしていたら早くこの解釈に辿り着いたかもしれない。

※2: 他者の視点というより高度で複雑な要素を内包する解釈のため、Lv.3 以下のものよりも高いレベルとして定義した。

Lv.5 「人生はゲームの攻略のようにルールを把握して戦略を持つべきだ」

これはここ数年で辿り着いた解釈であり、自分が置かれているフィールドのルールを把握して、確率的に物事を考えていくというアプローチ。言い換えると「期待値の高いところに張る」という表現になる。

期待値を考えるということは、「あくまで結果は付いてくるものであり、そのアプローチ部分(期待値計算)を如何にセクシーに設計するのか」が最大のポイントだと言える。

もう少し別の表現をすると、鋭い論点から導かれる示唆と、複数プレイヤーの状況・関係性を考慮した実行可能な戦略立案などに力点を置いた解釈であると言える。

経験則的に投資やビジネス、eスポーツなどマルチプレーヤ系の競争領域で活躍している人々はこの能力が高く、何をさせても勝ってしまうタイプが多いイメージである。

Lv.6 「人生にはゲームのようにバグやチートが存在する」

最初に断っておくが、ゲーム(特にeスポーツ)においてバグの利用やチートツールの使用を推奨する意図は全くない。プロスポーツにおけるエンターテイメント性を貶める行為であり、中長期的に業界の発展を妨げる要因になると考えている。

この解釈は、「市場の歪みを見つける」「サードドアを探す」という表現が近い。常に周囲環境を注意深く観察し続け、前提条件を疑い続ける(論点を設定し続ける)人だけが発見できる「幸運」であると同時に悪く言えば「飛び道具」である。

これらを発見すると一時的に相当な競合優位を得ることができ、知的財産権なども絡め取れればさらに効果時間を延長することができる。

そのため、Lv.5 と併せて持ち合わせておきたい解釈・観点である。

まとめ

以上のように、たった一つの格言に対しても、人生の経験値を積むことで様々な解釈を得ることができた。稀に「人生2周目なのでは?」という人と遭遇するが、そのような人は共通して、高度な解釈を若年期から獲得しているという共通項があるように思う。

メディアにおいて「情報は民主化された」「もはや情報に価値は無い」と著名人が主張する場面を何度も見たが、それを鵜呑みにすることは危険であり、「情報をいかに解釈するのか?」「どのような示唆を得られるのか?」と思考を深めていくことは、時流に関わらず重要なアプローチだというのが筆者の持論である。

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